2017/04/07

演奏会とは何か?〜マーケティングの観点から

マーケティングを非常にシンプルに説明すると、顧客が真に求める商品やサービスを作り、その情報を届け、顧客がその商品を効果的に得られるようにする活動[1]、となるであろう。マーケティングにおける最も重要なデーターは、顧客理解である。しかし、芸術の世界であるクラシック音楽、ましてやアマチュアオーケストラとなると、この点においては、非常に心もとない。せいぜい会場でアンケートをとるくらいではないだろうか。あなたはオーケストラ活動において、顧客の要望を直接聞いたことがあるだろうか?演奏会のプログラム(つまりあなたの商品)をどうやって決めているだろうか?だいぶ以前に「演奏会とは何か?」というタイトルで説明したが、ここではマーケティングという視点からまとめなおしてみた。

Singapore Lean Startup Circleでの「スタートアップにおけるマーケティング」というテーマでの討論会で発表させていただいた内容を元に日本語で書いてみた。

2016/04/29

音楽の流れに任せる

ベルナルト・ハイティンクのマスタークラスにて、「指揮者は常に前に立って音楽に介入するのではなく、音楽がそれ自体でうまく流れているときは、演奏者を信頼して彼らと一緒に呼吸をし音楽とともに進むべき」ことを学んだとのこと。まさにその通りです。
私は大学3年の最後にこれに気づかせていただいた。そしてそれ以降の人生が音楽以外でも大きく変わった、と思えます。



2016/04/11

続・楽譜とは

作曲というプロセス、つまり音楽を楽譜というかたちで残すことは、作曲家の心の表現であるアナログデータを、音符というデジタル情報で記録するということ。つまりその過程には、重大な情報の欠落があるというkとに気づかなければならない。一方、楽譜を見て演奏するということは、デジタルデータを人間の心に響くアナログ情報に変換するということ。したがって楽譜に書かれていないことを如何に再現するかということに、本来もっと時間と努力を払うべきであり、楽譜に書いてあることはあくまでも指標であり、「楽譜どおり演奏する」ことは演奏家として最低限必要なことである。

楽譜とは


画家は作品を直接鑑賞者に見せることができます。陶芸家は見てもらうと同時に触れてもらうこともできますし、使用してもらうこともできます。これらの物体としての作品を通して、作者は作品の意図、主義主張等を永久的に形にとどめることができます。もちろん、作品を見せるということは、作品表面で反射されてくる光を人間の目が感じ取ることですから、それを展示する場所の光線の具合で、ある程度は変化します。だから美術館などはそのことに十分神経をつかっています。

これに対して、音楽家は音楽を通して自分の意図、主義主張等を永久的にとどめることは、録音を除いてはありません。ですから、録音という技術ができる以前は、楽譜が「意図を人に伝える」という意味で重要な役割をはたしていました。もちろん録音が可能な現代でも、奏者に音楽の骨組みを伝えるという意味で楽譜は重要です。しかし完璧ではありません。マーラーや近代の作曲家は、楽譜に多くの言葉を用いて様々のパートに指示をしています。ブラームスをはじめ多くの作曲家が、発明された直後の録音技術を用いて、自作自演の録音を残しています。これらは、自らが表現しそれを人に伝えたいという、芸術家ならだれもがもっている願望のあらわれだと思います。つまり、作曲は自分の書いた楽譜だけで、後世に自分の音楽を残すことに物足りなさを感じていたと思います。だから楽譜だけに頼って演奏していたのでは、良い音楽は生まれてきません。

さらに、特に金管楽器について、昔は演奏不能であった音をどう処理するかという問題もあります。最近は原典主義とでもいいましょうか、作曲家が残した自筆譜に忠実に演奏するのがトレンドですが、一昔前まではたとえばベートーヴェンなどの2nd Trpなどで昔は低くて出せなかった音を吹かせるなんてことが当たり前でした。あるいは、モーツアルトが当時音程が不確かなため嫌っていたフルートを加えて木管楽器全体の割り振りをかえてしまうとか。私はあえて楽譜に手を加えることへの賛否をここでは表明しません。が、こういったことを考えることは作曲家の気持ちになって考えてみるという意味で大切なことです。

楽譜は考古学に喩えるなら、貴重な土器の破片です。指揮者と奏者全員が元々一つであった土器の破片をもっていないと、正確な古代の生活を再現することができません。つまり、全員が同じ版の楽譜を使わなければよい演奏、効果的な練習はできません。また練習番号を統一してふっておくことと、小節番号をふっておくことは常識です。繰り返しカッコの部分などは版によって小節の数え方が異なるので注意しましょう。これらの準備はオーケストラでの最低限のマナーです。

続・楽譜とは

2016/04/09

2016/04/03

天才はいない

「天才バッハ」、「神童モーツァルト」、演奏家なら「天才パガニーニ」などとよく言われるが、はたして天才とはなんであろうか。我々「凡人」は「天才」の域には達し得ないのであろうか。私は以前から、天才は努力の結果であると信じていた。それを証明するレポート[1]を見つけたので、そのキーメッセージを紹介しながら、アマチュア音楽家への適用を検討してみようと思う。

この研究は、チェスのチャンピオンの脳内での情報伝達を研究することにより、チェスだけでなくその他あらゆる分野においても、いかにしてマイスターになれるかの重要な点を明らかにしている。普通のチェス・プレーヤーとチャンピオンの脳内での神経伝達を比べると、チャンピオンの脳は活性化している部分が非常に広く、それだけ膨大な計算や、過去の経験との照合、シミュレーションなどを瞬時に行っていることがわかる。最も重要なことは、経験を積み重ねることにより、計算やシミュレーションしなければならなかったことが、過去のケースと照合することによって、ほとんど無意識に次の一手の選択ができるということである。つまりそれだけデータベースが大きく、またデータへのアクセスのしかたもデータベースとして持っている。「天才」は生まれつきではなく、脳にどれだけの信号伝達経路を構築できているかによるのである。

では、天才とまで呼ばれなくても、脳の信号伝達経路をたくさんつくり、ある分野で名を知られる程度になるためにはどうすればいいのか。それは、「人並みはずれた努力」を最低「10年」継続するということである。

人並みはずれた努力
いくつかのエキスパート理論で実証されているのだが、こういった脳内の信号伝達経路を構築するには、「人並みはずれた努力」が必要であることがわかっている。エリクソンの研究によると、もっとも重要なことは「人並みはずれた努力」、つまり常に自分の技量・能力より常に一つ上を目指すことの継続である。単なる経験、つまりどれだけ長い期間練習・勉強しているかはまったく関係がない。このことは以下の例でよくわかる。たとえば、ゴルフやテニスの初心者は非常に熱心に練習するが、ひとたびコースに出て楽しめるようになったり、仲間と試合でのラリーを楽しめる程度に達すると、ほとんどの人はそこでリラックスしてしまい、努力をやめてしまう。車の免許を取れればそれ以上に運転技量を磨こうという人はまずいない。10年以上車を運転していても、初心者のころと比べて運転技量はほとんどかわらないはずである。こうなるとそれ以上の上達はありえない。これに対し、いわゆるエキスパートやマイスターは、自らの心の扉を常に開けていて、常に自分の技量や結果を同じ分野のトップと比較観察し、自らを批評し、常に改善に対する努力をしているのである。

10年
ただ、サイモンの心理学の10年原則が示すように、ある分野でのマイスターになるには、約10年間ものすごい量の勉強や練習が不可欠である。「人並みはずれた努力」も1年や2年の短期間ではまったく意味がない。これは、大学受験で猛勉強をしても、大学に入りそして就職できてリラックスし、その「人並みはずれた努力」をやめてしまえば「人並み」で一生を終わる。また、これは子供の才能を開花させることにもあてはまり、神童と呼ばれる数学におけるガウス、音楽におけるモーツァルト、チェスにおけるボビー・フィッシャーなどは実際、幼少のころから長期間にわたり人並みはずれた量の練習や勉強を行った結果である。伝記にも記されているように、モーツァルトはとにかく幼少のころからヴァイオリンやクラヴィーアを触るのが好きで、父親や父親の音楽仲間の奏でる音楽に異常なほどの興味をもち、知らず知らずのうちに「練習」になっていた。またモーツァルトは普通の子供が興味を示す玩具や遊びにはまったく無関心でもあった。そして父親の音楽教育も熱心で厳しかった。最近の研究で、モーチベーションが素質よりもずっと重要であることもわかってきた。

音楽やスポーツの指導にあたる人たちは、才能があるかないかが重要で、才能を持った子供を見ればすぐにわかると言うが、これは生まれつき才能を持った人とそうでない人がいるという思い込みでしかないことがわかっている。普通は一度演奏を聴いただけで、その人の素質によるものなのか長年のスズキメソッドによる努力の結果なのか知る方法はない。

また、大人になってから音楽を始めたから、子供のころからやっていた人と比べると絶対に損、というのも脳神経学的に否定されている。これも、大人は子供ほど一つのことに没頭できない、時間がない、つまり「人並みはずれた努力」を「10年」もの間継続することができないから、ということで説明できる。つまり、子供のころのように没頭し努力すれば大人でも上達できるのである。アルバート・アインシュタインやカール・ベームがそれを実証している。

[1] Philip E. Ross, The Expert Mind, Scientific American Aug. 2006, p46-53